原案者アーサー・コナン・ドイルが創り出した「数学教授ジェームズ・モリアーティ」は、本来シャーロックの宿敵として生み出された「悪の天才」にすぎなかった。だが、本作はこの伝統的な枠組みを鮮やかに逆転させている。過剰な栄華を極めた大英帝国の裏側に潜む差別、貧困、不正。それらを見過ごす国家機構そのものを最大の悪として再定義したのだ。
精密に構築されたミステリーの仕掛けは、本格犯罪サスペンスとしての質の高さを誇る。法で裁けない悪徳貴族を、被害者たちの手に代わって追い詰め、自滅へと導くシナリオ。それは単なるスカッとする勧善懲悪劇ではない。罪を犯すことの倫理的葛藤や、暗殺者の手に残る血の冷たさを一切誤魔化さずに描写する重厚さが、読者の知性を刺激する。