「真犯人が野放しになるリスク」を冒してまで、なぜこの原則が絶対視されるのか。その根底には、18世紀の英法学者ウィリアム・ブラックストーンが遺した「10人の罪人を逃すとも、1人の無辜(無実の人)を罰するなかれ」という強烈な司法哲学があります。
国家という強大な権力を持つ組織が、個人の人生や生命を奪う刑罰を科す以上、一度でも冤罪が発生すればその被害と司法への不信は取り返しがつきません。裁判官が「90%くらい怪しい」と感じたとしても、残り10%の疑問(合理的な疑い)が論理的に残るなら、有罪にしてはならないのです。
この「合理的な疑い」とは、単なる気まぐれや屁理屈のような疑念ではなく、提出された証拠を冷静に見たときに「別の人物が犯行に及んだ可能性も否定できないのではないか」「証拠自体が変造されているのではないか」といった、客観的で筋の通った疑問を指します。