本作の核心をなすのが、出征直前のプラットホームにおける「お父さんの行動と心情」です。なぜ父親は、空腹で泣き叫ぶ愛娘に対して、食べ物ではなく「花」を差し出したのでしょうか。文学研究者や教育関係者の考察では、この瞬間に父親が感じていた絶望と、それを凌駕する無償の愛情が克明に指摘されています。
戦況が絶望的な1944年から1945年において、中年層にまで及んだ召集令状は、実質的な生還不能の片道切符を意味していました。父親自身、二度と生きて我が子の成長を見ることはできないと確信していたはずです。そんな極限状態において、娘の生涯最初の記憶が「ひもじさに泣き、卑しく食べ物を乞う姿」であってほしくないという、親としての痛切な願いが去来しました。
父親が手渡したコスモスには、以下の三重の象徴的意味が込められています。
- 「心の豊かさ」の継承:たとえ身の回りの物質や食糧が尽き果てようとも、美しいものを美しいと感じられる気高い心だけは失わないでほしいという祈り。
- 命のバトンタッチ:粗末な土壌や瓦礫の隙間でも根を張り、可憐に花を咲かせるコスモスに、これから戦火を生き抜かねばならない娘の強靭な生命力を重ね合わせた。
- 言葉の呪縛からの解放:「一つだけ」を飢餓の合言葉から、「世界に一つしかない尊い宝物(花・命)」へと昇華させ、父親が最後に残せる唯一の形見とした。
父親がプラットホームで見せた「笑っているような、泣いているような顔」は、死にゆく者の無念と、愛する家族の未来を信じようとする父親の崇高な決意が交錯した究極の表情です。