天然痘と歴史上の人物(日本編)を語る上で、国家のあり方を根底から覆した最大の事件が、奈良時代の「天平の疫病大流行」(735年〜737年)です。朝鮮半島からの使節や遣新羅使を通じて九州の大宰府に上陸したウイルスは、瞬く間に平城京へと広がり、当時の日本の総人口の約3分の1(100万〜150万人以上)の命を奪ったと推計されています。
このパンデミックで最大の打撃を受けたのが、朝廷の最高権力を掌握していた「藤原四兄弟」(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)でした。737年4月から8月にかけて、政治の中枢を牛耳っていた兄弟全員が天然痘の感染によって相次いで病死。政権中枢が一瞬にして壊滅する異常事態に陥ったのです。
最高権力者を一挙に失った聖武天皇は、目に見えないウイルスの猛威と社会不安を鎮めるため、仏教の力に縋る国家事業を決断します。これこそが、現在も奈良の象徴として残る「東大寺の大仏(盧舎那仏)造立」や「国分寺・国分尼寺の建立」の直接的な契機となりました。天然痘という疫病の猛威がなければ、奈良の大仏は誕生していなかった可能性すらあるのです。