なぜ、命が交差するような致命的な過失が起きてしまったのか。時計の針を半世紀近く巻き戻すと、当時の産婦人科病院における脆弱な管理体制が浮かび上がる。
高度経済成長期から昭和後期にかけて、日本は空前の出産ラッシュに沸いていた。過密な分娩スケジュール、人手不足の新生児室、手書きのネームタグ、そして入浴時に一括で新生児を扱う当時の慣行。複数の人為的ミスが重なった結果、命の取り違えという取り返しのつかない事態が日常の死角で発生していたのだ。
この失態に対し、医療業界全体に激震が走った。ミスを個人の注意不足に帰帰させるのではなく、組織的な構造問題として捉え直す動きが本格化。行政の動きも加速した。厚生労働省は新生児の個体識別に関する厳格なガイドラインを策定し、バーコード付き足輪の装着や電子認証システムの導入、さらには母子同室の推奨など、二重三重の過失防止策を全国の医療機関に義務付けた。過去の過ちを猛省し、二度と惨劇を繰り返さないための改革が推し進められたのである。