インターネット上で流布している言説のなかには、当事者をさらに苦しめる誤解が少なくありません。その筆頭が「心が綺麗な人は決して怒らない」「何をされてもすべてを許すのが真の聖人」という短絡的な聖人君子幻想です。
真に内面が整っている人は、感情に任せて激昂したり他者を攻撃したりしないだけであり、不正や不義理に対する「静かな義憤」や「厳格な倫理基準」を持っています。むしろ、理不尽に対して何も言い返せない状態は、心が綺麗なのではなく、自己肯定感の低さや摩擦を恐れる「臆病さ(迎合性)」に起因しているケースが大半です。
また、スピリチュアル界隈で頻繁に語られる「常に綺麗な心でいれば、自然と良い現実だけが引き寄せられる」という言説も、現実社会においては重大な盲点を抱えています。悪意や搾取が存在する現実から目を背け、無防備なまま善意を垂れ流せば、集まってくるのは善人ではなく、格好の獲物を狙うテイカーです。「清濁併せ呑む現実認識」を持たない無防備な優しさは、自己破壊を招く危険な信仰になりかねません。