1871年、岩倉使節団に同行する形でアメリカへと旅立った津田梅子。当時、彼女はわずか6歳という異例の若さだった。幼少期の11年間を首都ワシントンD.C.近郊で過ごし、洗練された英語力と自由な思考、自立心を身につけて帰国を果たした。
しかし、当時の日本に待っていたのは、女性の社会進出や意見表明が極めて厳しく制限された現実だった。日本語の再習得に苦心しながらも、彼女は直面した壁に屈しなかった。自らの使命は日本女性に教育の灯をともすことにあると見定め、再び単身で再留学を決意。最先端の生物学を修めると同時に、教育者としての揺るぎない素地を作り上げていった。