今でこそお笑い界屈指のインテリジェンスと評される西田ですが、その生い立ちと若い頃の経歴プロフィールは、決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。
1974年に奈良県奈良市で生まれた西田の学歴と出身高校を辿ると、奈良市立都跡中学校を卒業後、地元の一条高校に進学するも、周囲の環境や学校教育に馴染めず中退という挫折を味わっています。その後、定時制高校に編入したものの、青年期は部屋にこもってハードコア・パンクやヘヴィメタルの音楽に没頭し、古本屋で文学作品を読み耽る無気力な日々を送っていました。
社会のレールから外れた焦燥感の中で「自分を救ってくれるのはお笑いしかない」と確信した西田は、吉本興業のオーディションを受けて芸人の道へ進みます。複数のコンビ結成と解散を繰り返す中で出会ったのが、当時別のコンビで圧倒的な存在感を放っていた笑い飯の哲夫でした。「奈良県で一番面白いやつが自分なら、二番目に面白いのはあいつしかいない」と互いの才能を認め合い、2000年に笑い飯を結成します。
2002年に始まった『M-1グランプリ』では、従来の「ボケとツッコミ」という固定概念を破壊する「Wボケ」を披露し、結成わずか2年で決勝に進出。そこから2010年まで前人未到の9年連続決勝進出という伝説を築き上げ、最終イヤーとなった第10回大会で悲願のトロフィーを手にしました。若い頃の孤独と鬱屈したエネルギーが、漫才史を揺るがす革命の原動力となったのです。