終戦からわずか3ヶ月後、誰もが平和への第一歩を踏み出そうとしていたその瞬間、轟音がすべてを無に帰した。福岡県田川郡添田町の国鉄日田線(現・日田彦山線)のトンネル。そこには、敗戦で行き場を失った旧日本軍の火薬や弾薬が大量に放置されていた。処理を担当した連合国軍(米軍)の指示のもと、ずさんな焼却処分が開始された直後、制御不能となった火が火薬庫に引火した。
一瞬にして山全体が吹き飛び、周囲の集落は跡形もなく消え去った。死者147名、負傷者149名。この数字は、日本の戦後災害史上でも最悪部類に入る大惨事である。しかし、当時の混乱期ゆえに、正確な被害状況や責任の所在は長らく曖昧なままにされてきた。