相撲協会の歴史を語る上で欠かせないのが「一門」の力関係です。昭和中期から平成初期にかけて、角界には「出羽海にあらざれば人にあらず」「出羽海王国」と呼ばれる絶対的な支配体制が存在していました。
第4代の出羽海(常ノ花)から、第6代の春日野(栃錦)、第8代の境川(佐田の山)へと、約半世紀にわたって出羽海一門の親方が理事長ポストをほぼ独占。所属親方数が全体の約3分の1以上を占めていたため、選挙を行わずとも出羽海一門の推薦する候補が自動的にトップに就任する慣例が続いていました。
この強固な一門支配に風穴を開けたのが、1988年の二子山勝治(元横綱・初代若乃花)の理事長就任でした。二所ノ関一門のドンとして国民的人気を誇った二子山が就任したことで、出羽海一門による単独支配に終止符が打たれ、他一門への権力分散が始まったのです。
その後、2000年代以降は一門の結束力自体が揺らぎ始めます。「貴乃花親方(当時)の理事選出馬(いわゆる貴乃花の乱)」などを機に、一門の推薦枠にとらわれないガチンコ選挙が行われるようになり、理事長交代劇は派閥間の高度な政治的駆け引きへと変貌していきました。