蝦夷は現在のどこ?北海道だけじゃない驚きの範囲と歴史の真相

蝦夷は現在のどこ?北海道だけじゃない驚きの範囲と歴史の真相

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古代日本において、蝦夷の範囲が劇的に塗り替えられる契機となったのが、8世紀後半から9世紀初頭にかけて繰り広げられた「蝦夷征討(三十年戦争)」です。

律令国家の確立を急ぐ大和朝廷は、豊富な黄金や馬の産地であった東北地方の支配を目指し、大規模な軍勢を度々北へ送り込みました。これに対し、北上川流域(現在の岩手県奥州市周辺)の蝦夷を束ねて頑強に抵抗した英雄が阿弖流為(アテルイ)です。アテルイは地の利を活かしたゲリラ戦法で、789年の「巣伏(すぶせ)の戦い」において朝廷軍に壊滅的な打撃を与えました。

この戦況を打破するために桓武天皇から征夷大将軍に任じられたのが坂上田村麻呂でした。田村麻呂は軍事的な圧迫と同時に、投降した蝦夷(俘囚:ふしゅう)を懐柔・厚遇する巧みな戦略を展開。802年に胆沢城(岩手県奥州市)を築いて前線を北上させると、アテルイもこれ以上の流血を避けるため降伏を決断しました。

アテルイの死後、朝廷の支配拠点はさらに北の志波城(岩手県盛岡市)へと進出します。この蝦夷征討の結果、現在の岩手県や青森県を含む東北全域が「陸奥国」「出羽国」として朝廷の行政下に組み込まれ、本州における「蝦夷の境界線」は津軽海峡まで完全に後退することとなりました。

吉田 誠
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吉田 誠

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