華やかな成功の裏には、泥臭い下積みと劇団存続をかけた壮絶な闘いがあった。大衆演劇の名門である梅沢劇団の次男として生まれた彼は、幼少期から舞台に立ち続けたものの、映画やテレビの台頭によって劇場の客席が閑古鳥に鳴く冬の時代を長く経験している。
転機となったのは、劇団の看板として女形に本格挑戦したことだった。既存の古典的な型にとらわれず、現代の観客の胸に刺さる所作を研究し尽くした。日本舞踊の基本を踏まえながらも、どこか哀愁を漂わせる視線の配り方、いわゆる「流し目」を編み出した瞬間、劇場の空気は一変した。地方巡業の小さな芝居小屋から火がついた熱気は、瞬く間に全国規模のムーブメントへと膨れ上がっていった。