下條アトムという唯一無二の表現者を読み解く上で、避けて通れないのが「家庭環境と血筋」です。彼の父は、前述の通り松竹映画『男はつらいよ』で車竜造(おいちゃん)役を長年務めた大名優、下條正巳。母も元女優の田上嘉子という、昭和の芸能界において絵に描いたようなサラブレッドの家系に生を受けました。
「アトム」という本名について、世間では手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』にあやかって命名されたと誤解されることが少なくありません。しかし、彼が誕生したのは1946年であり、手塚治虫が『アトム大使』を発表した1951年よりも前です。父・下條正巳がフランス語の「アトム(原子=これ以上分割できない根源的なもの、未来を拓く力)」からインスピレーションを受け、「何ものにも縛られず、新しい時代を築く人間になってほしい」との願いを込めて名付けた正真正銘の本名です。
偉大すぎる父の背中は、若き日のアトムにとって憧れであると同時に、巨大な壁でもありました。「二世俳優」というレッテルが今よりも遥かに厳しい目で見られた昭和の時代、彼は父と同じ劇団民藝の養成所で基礎から泥臭く演劇を学びました。決して親の七光りに寄りかかることなく、声優やナレーションという「顔を出さない声の演技」の分野で突出した評価を勝ち得た背景には、ひとりの自立した表現者として立ちたいという強固な自立心が働いていたことは間違いありません。
一方、プライベートの生活については極めて厳格にプライバシーを守り抜いてきました。結婚した妻や家族に関するセンセーショナルなゴシップ記事は、彼の半世紀を超える芸能生活の中でほとんど存在しません。昭和・平成の芸能界にありがちだった私生活の切り売りを一切拒み、家庭を「静謐な精神の避難所」として大切に維持してきたからこそ、70代後半を迎えた現在も枯れることのない表現力を保ち続けているのです。