後見人となった細木数子の指導のもと、島倉千代子は想像を絶する返済ロードへと突入します。細木は島倉に甘えを一切許さず、全国のキャバレー回り、地方の温泉街、パチンコ店の営業に至るまで、歌える場所があればどこへでも島倉を送り出しました。
華やかな紅白歌合戦の常連歌手であった島倉が、酔客のグラスが飛び交う夜の歓楽街で頭を下げて歌い続ける日々。それはプライドを粉々に砕かれる屈辱の連続でしたが、島倉は愚痴ひとつこぼさず、細木の指示に従い続けました。細木もまた、自らの会社「ミュージック・オフィス」を通じて興行を仕切り、得られた報酬の大部分を債務返済に充当していきました。
その壮絶なドサ回りと苦難の果てに生まれたのが、1987年の島倉千代子 人生いろいろ 復活劇です。作詞・中山大三郎、作曲・浜口庫之助によるこの楽曲は、従来の演歌の枠組みを超えた軽快なポップス調のメロディと、島倉自身の波乱の半生を重ね合わせた歌詞が国民的な共感を呼びました。
「死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ」というフレーズを、笑顔混じりに歌い上げる島倉の姿は日本中に勇気を与え、130万枚を超える大ミリオンセラーを記録。第30回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、彼女は見事に演歌界の頂点へと返り咲きました。過酷な返済生活を耐え抜いた島倉の忍耐と、彼女をプロデュースし続けた細木の執念が結実した瞬間でした。