プロ入り当初、王貞治は決して順風満帆なスタートを切ったわけではなかった。甲子園優勝投手として華々しく読売ジャイアンツに入団したものの、プロの壁は高く、最初の3年間は「三振王」と揶揄される苦悩の日々が続いた。才能を持て余していた若武者を劇的に変えたのが、打撃コーチ・荒川博との出会いである。
1962年、二人が始めた特訓は常軌を逸していた。深夜の合宿所、畳が擦り切れるまで繰り返された素振り。天井から吊るした糸を真剣で切り落とす抜刀術の稽古。バランスを崩せば大怪我に直結する極限の緊張感の中で、あの「一本足打法」は産声を上げた。足を踏み出すタイミングのズレを矯正するための苦肉の策が、やがて球史を塗り替える必殺のフォームへと昇華したのだ。手のひらは血豆で潰れ、血で染まったグリップを包帯で巻きながらバットを振り続けた執念。そこに妥協の文字は一切なかった。