オーストリア人の母と世界的な日本人バイオリニストである鰐淵賢舟氏の間に生まれた鰐淵晴子は、その彫りの深い日本人離れした美貌と圧倒的な音楽的才能から、幼少期より注目の的でした。少女時代からバイオリンの天才少女として全国ツアーを成功させ、1955年の映画『ノンちゃん雲に乗る』で銀幕デビューを飾ると、松竹や東宝の看板女優として瞬く間にトップアイドルの座へ登りつめます。 世間が抱く鰐淵晴子の若い頃のイメージは、まさに「手の届かない深窓の令嬢」であり「無垢な清純派スター」そのものでした。しかし、その輝かしい虚像の裏側で、本人は息の詰まるような葛藤を抱え続けていたと、当時のインタビューや後年の回想録で率直に明かされています。 最大の転機となったのは、三十代を迎えた時期に敢行されたヌードグラビアへの挑戦です。世間が「なぜあのお嬢様女優が脱がなければならないのか」と騒然とする中、鰐淵晴子がヌードを決意した理由は、他者から押し付けられた「作られたお人形」としての自己を完全に解体することにありました。少女時代から家族や映画会社によって厳格に管理され、自分自身の意志で人生を選択する余地を奪われていた彼女にとって、自らの生身の肉体をカメラの前に晒す行為は、自身の身体の主権を取り戻すための最も純粋で過激な宣言だったのです。
鰐淵晴子がヌードに挑んだ真相とは?篠山紀信との衝撃作と現在を追う