御城番屋敷が誕生したのは、幕末の動乱期である文久3年(1863年)のことです。当時、伊勢国松坂は紀州徳川家の飛び地領であり、松坂城の警備や城下の治安維持を担う役職として「松坂御城番」が置かれていました。田丸城主(紀州藩家老)の配下から選ばれた紀州藩士20名とその家族のために新築されたのが、この東西2棟からなる長屋住宅です。
平穏な武士の日常は、わずか数年後の明治維新によって激変します。明治2年(1869年)の版籍奉還と廃藩置県により、御城番役は廃止。秩禄処分によって武士としての給料(家禄)も完全に断たれ、20家族は一日にして生活の糧を失いました。全国の城下町では、困窮した士族が屋敷を手放して離散し、武家町が急速に消滅していった時代です。
しかし、松坂の武士たちは散り散りになる道を選びませんでした。彼らは「誰か一人が困って屋敷を売れば、この屋敷群全体が崩壊する」という強烈な危機感を共有し、明治10年(1877年)に士族20名全員が出資して「苗秀社(びょうしゅうしゃ)」という合名会社を設立。政府から払い下げを受けた屋敷と敷地を会社の共有財産とし、個人が勝手に土地や建物を売却・分割できない強固な規約を結びました。
生活費を稼ぐため、元武士たちは慣れない鍬を握って山林の開墾に励み、茶の栽培や養蚕事業を展開。屋敷の維持費や修繕費は会社でプールした共同資金から拠出する仕組みを構築しました。この「私有財産の法人化による集団防衛」という極めて先駆的な自治システムこそが、2026年の現在に至るまで武士の血統と屋敷の景観を一体で守り抜いた最大の勝因です。