デュオグループの宿命として、昭和の時代から週刊誌を中心に幾度となく囁かれてきたのが「相方・増田惠子との不仲説」でした。しかし、二人の実態はそのようなゴシップとは対極に位置しています。
ピンク・レディー全盛期、彼女たちの多忙さは凄まじく、1日の睡眠時間はわずか45分から2時間程度という極限状態が数年間続きました。分刻みのスケジュールで移動し、点滴を打ちながらステージに上がっていた過酷な青春期を、共に生き延びた唯一の存在が増田惠子でした。未唯mie自身もメディアの取材で、「ケイ(増田)は友達や同僚という言葉では表せない。同じ戦場を駆け抜けた『戦友』であり、魂の片割れのような存在」と述べています。
解散後もプライベートで連絡を取り合い、お互いのソロ活動や舞台に足を運んでエールを送り合ってきた二人。数度におよぶピンク・レディーの期間限定再結成でも、阿吽の呼吸で完璧なユニゾンとダンスを披露できたのは、長年培われた深い信頼関係と敬意があったからに他なりません。表面的な仲良しグループではなく、独立したプロ同士がリスペクトし合う成熟したシスターフッド(女性同士の連帯)がそこに存在しています。