デビュー当時から尾崎の才能を見出し、二人三脚で数々の名作を世に送り出してきた音楽プロデューサーの須藤晃。ソニー・ミュージックエンタテインメント(旧CBS・ソニー)のスタジオで繰り広げられた彼らのセッションは、常に魂の削り合いだった。須藤の回想録や証言によれば、遺作となった6枚目のオリジナルアルバム『放熱への証』の制作現場は、異様な緊張感に包まれていたという。
10代の旗手、反逆のカリスマという敷かれたレールを脱ぎ捨て、20代半ばの成熟した表現者へと脱皮しようとする尾崎の苦闘は凄まじかった。ビジネスとしての音楽産業の論理と、妥協を一切許さない己の芸術性との間で引き裂かれながら、彼は言葉を絞り出していた。須藤はその姿を「自らの肉体を燃料にして歌を生み出していた」と表現している。
尾崎の急逝後、未完成のボーカルトラックを丁寧に磨き上げてリリースされた『放熱への証』は、ミリオンセラーを記録した。そこには、「汚れた絆」や「太陽の破片」に見られるような、痛烈なまでの生の叫びと祈りが真空パックされている。