ガラスに漆を塗る――言葉にすれば単純に聞こえる試みは、漆工芸の歴史において長らく「禁忌」あるいは「不可能な挑戦」とされてきました。漆は天然の樹脂であり、木や紙、麻布のように微細な導管や凹凸を持つ有機素材には強固に食い込みますが、無機質で表面が極めて平滑なガラスには定着せず、乾燥後にペリペリと剥離してしまう宿命を抱えていたためです。
この物理的限界を打ち破ったのが、長野県塩尻市木曽平沢の地で1945年に創業した木曽漆器 丸嘉小坂漆器店でした。同店が1994年頃から試行錯誤を重ね、長野県工業技術総合センターなどの公的研究機関とも連携しながら開発したのが、ガラスと漆の分子構造を強固に架橋させる特殊な下地処理・焼き付け技術です。これにより、日常の使用に耐えうる堅牢性と、漆特有の艶やかな皮膜を両立させた「漆硝子」が産声を上げました。
工房の職人が語る開発秘話によれば、当初は「漆器の王道から外れた異端」と冷ややかな視線を浴びることも少なくなかったといいます。しかし、透明なガラスの背面から漆を塗ることで、漆器本来の「手で触れる温もり」に加えて「光を透過して乱反射する神秘的な色彩」が生まれました。表層は手入れが容易なガラスでありながら、底面を覗き込むと深遠な漆の溜まりが広がるという二重構造の視覚体験が、感度の高いインテリアバイヤーや海外のソムリエの目を捉え、一躍世界的な名声を獲得するに至ったのです。