「民族自決」をわかりやすく整理すれば、「個々の民族集団が自らの政治的地位を自らの手で選択・決定し、他国の圧制や支配を受けない権利」を指します。当時、オーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国などの多民族国家が支配していた東欧や中東において、被支配民族の独立を認める道筋を示す画期的なスローガンとして受け止められました。
ウィルソンが1918年1月8日に発表した十四か条の平和原則は、秘密外交の廃止、海洋の自由、軍備縮小、そして民族自決に基づく国境の再確定や国際連盟設立を盛り込み、泥沼化した第一次世界大戦の早期終結とアメリカ主導の戦後秩序構築を狙ったものでした。
しかし、ウィルソンがこの原則を打ち出した最大の動機は、単なる博愛精神ではありません。その直前、1917年11月にロシア十月革命を成功させたウラジーミル・レーニンが発した「平和に関する布告」への猛烈な対抗意識でした。レーニンは「無併合・無賠償・民族自決」を掲げ、すべての帝国主義列強に対して植民地を即時解放せよと全世界の労働者・被抑圧人民に呼びかけました。資本主義体制そのものを揺るがす共産主義のプロパガンダに対抗するため、ウィルソンは自由主義陣営としての「資本主義的で管理された民族自決」を対抗提示せざるを得なかったという背景が存在します。