宇多田ヒカルの両親を語る上で外せないのが、照實と藤圭子の結婚・離婚・再婚という異例の関係史だ。複数の報道や関係者の証言を時系列で整理すると、二人は藤圭子が歌手として人気絶頂だった1970年代に出会い、結婚。やがて1983年1月19日にニューヨークで長女・宇多田ヒカルが生まれる。しかし夫婦関係は安定せず、ヒカルが幼い頃に一度離婚。その後、再び結婚するという経緯をたどった。藤圭子は2013年8月22日に転落死し、その生涯を閉じている。
この離婚と再婚の背景について、照實自身は公の場で具体的な理由を語っていない。ただ、藤圭子の自伝や当時の芸能報道を参照すると、歌手活動の激務、精神的な不安定さ、家族でのアメリカ移住、そして音楽制作方針の対立など、複数の要因が重なっていたことがうかがえる。ヒカル自身も後のインタビューで「子供の頃は親が喧嘩ばかりしていた」「家の中がいつも張り詰めていた」と語っており、家庭内の緊張が彼女の感受性に深く刻まれたことは想像に難くない。
重要なのは、ここでいう「離婚」が必ずしも家族の断絶を意味しなかった点だ。むしろ、離れて暮らす期間を経て再構築された関係が、その後の家族経営的な音楽制作体制につながった。宇多田ヒカルのデビュー時、照實はプロデューサー兼マネジメント的な立場で動き、藤圭子は表舞台から退きつつも存在感を放ち続けた。この「家族ユニット」としての結束は、1990年代末の日本音楽シーンでは極めて異質だった。