平穏を装った逃亡生活の崩壊は、自身の体調悪化によって突然訪れました。末期の胃がんが進行して路上で倒れ、自力歩行ができなくなった桐島は、2026年1月に神奈川県鎌倉市内の病院へと救急搬送されました。
当初は偽名の「内田洋」として入院し、無保険のため全額自己負担で治療を受けていましたが、病状が絶望的であることを悟った桐島は、病院関係者に対して静かに語り始めました。
「自分は桐島聡だ。最後くらいは本名で迎えたい」
病院側からの通報を受けた警視庁公安部が直ちに病室へ急行し、事情聴取を開始。桐島は事件当時の詳細や家族の状況について、本人しか知り得ない事実を淡々と供述しました。その後、警察当局が採取した生体サンプルと実家の親族から提供されたDNA型の鑑定を実施した結果、親族関係に矛盾がないことが科学的に証明され、本人と特定されました。
しかし、捜査が本格化する間もなく、自供からわずか数日後の2026年1月29日、末期がんによる容態急変のため、病院のベッドの上で70年の生涯を閉じました。法廷で事件の全容や動機を語ることなく迎えたあっけない幕引きでした。