町田ってどこ?東京か神奈川か論争の真相と2026年の住みやすさ検証

町田ってどこ?東京か神奈川か論争の真相と2026年の住みやすさ検証

町田ってどこ?東京か神奈川か論争の真相と2026年の住みやすさ検証に関するポイントを分かりやすくまとめました。詳細な解説をご覧ください。

「町田は神奈川」という言説は、歴史を紐解くと単なる笑い話で済まない歴史的事実に突き当たります。実は、町田市を含む多摩地域(三多摩:北多摩・南多摩・西多摩)は、明治時代の一時期、公法上正真正銘の「神奈川県」だったからです。

明治維新直後の目まぐるしい廃藩置県を経て、1871年以降、現在の町田市域にあたる南多摩郡は神奈川県に編入されていました。これが一転して東京府(現在の東京都)へと移管されたのが、1893年(明治26年)4月1日の「三多摩移管」です。

移管の決定的な引き金となったのは、東京市民の命綱である「玉川上水」の水源管理問題でした。当時、東京府民の飲用水供給源であった多摩川上流域の水管理を神奈川県に依存していた東京府側が、公衆衛生および都市インフラの観点から自府の管轄下に置くことを強く要望したのです。さらに背景には、自由民権運動の激闘地であった多摩地域を掌握したい政府側の政治的思惑も絡み合っていました。この法改正によって町田村(当時)は一夜にして神奈川県から東京府へと鞍替えすることになりました。

また、町田市と相模原市の境界線を巡っては、もう一つのユニークな歴史が存在します。両市の境を流れる「境川」は、かつて激しく蛇行を繰り返す暴れ川でした。明治期に定められた県境は当時の川筋に沿っていたため、その後の直線的な河川改修によって、川の対岸に「町田市の土地」や「相模原市の土地」が取り残される入り組んだ飛び地が大量に発生したのです。

この飛び地状態を解消するため、両自治体は1999年から数十年にわたり段階的な境界変更事業を推進。2026年代に至るまで行政境界の再編を継続し、道路や建物の敷地と県境の不一致を地道に解消してきた経緯があります。境川に架かる橋を渡るたびに県境を示す標識が現れる光景は、この地道な境界線の歴史の生き証人といえます。

小林 直樹
Author

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。