二人の父親は、凄腕の紳士服仕立て職人(テーラー)だった。生涯で何度も結婚を繰り返した破天荒な父の背中を見て育ったわけではない。しかし、血は争えなかった。寛斎がファッションの世界でロンドンを席巻していた頃、伊勢谷はまだこの世に生を受けてすらいない。彼らが初めて言葉を交わしたのは、伊勢谷が大学生になってからのことだ。
「初めて会った時、エネルギーの塊のような人だと思った」と、伊勢谷はかつて振り返っている。年の離れた兄は、すでに世界のKANSAIとして君臨していた。一方の伊勢谷も、東京藝術大学で美術を学び、自己の表現を模索する鋭利な若者だった。二人の出会いは、血のつながりを確認する儀式というよりも、表現者同士の火花散る邂逅だったのだ。