天才ダ・ヴィンチ芸術作品の全貌!代表作の謎と未完の真相を暴くの全体像を詳しく解説してご紹介します。

ネット上の情報では「レオナルドは生涯でほとんど絵を描かなかった」「気まぐれで怠惰な天才だった」という言説が見受けられますが、これは完全な誤解です。彼が作品を完成させられなかった背景には、常人離れした知性の構造がありました。

まず注目すべきは、岩窟の聖母2つのバージョンの真相です。ルーヴル美術館版とロンドン・ナショナル・ギャラリー版の2枚が存在する理由は、画家の気まぐれではなく、泥沼の報酬裁判にありました。1483年、ミラノの「無原罪の御宿り信心会」から祭壇画の発注を受けたレオナルドは、弟子のデ・プレディス兄弟とともに制作を進めました。しかし、完成後に信心会が提示した報酬が要求額の半分以下だったため、レオナルド側が猛反発。交渉が決裂したため、最初の作品(ルーヴル版)を別の買い手(ミラノ公スフォルツァ)に高額で売却し、契約義務を果たすため約10年後に弟子たちとともに描き直したのが2枚目(ロンドン版)だったのです。ロンドン版では天使ウリエルの指差しポーズが消え、洗礼者ヨハネに十字架の杖と光輪が描き足されるなど、教会の意向に沿った宗教的修正が加えられています。

そして、多くの愛好家が抱く疑問であるダ・ヴィンチ未完作品が多い理由について、当時の手記や同時代人の記録から見えてくるのは「知的好奇心の暴走」です。ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』にも記されている通り、レオナルドは絵を描き始めると、絵の具が乾くわずかな時間に人体の腱の動きに疑問を抱き、死体解剖へと向かってしまいました。あるいは、水面の渦の動きに魅せられて水力学の計算を始め、キャンバスを放置したのです。フィレンツェのウフィツィ美術館に残る初期の大作『東方三博士の礼拝』は、緻密な遠視遠近法の下絵が露出したまま未完で遺されていますが、下絵の段階で遠近法と解剖学の実験が完了した時点で、彼の知的欲求は満たされてしまったと考えられます。