てっさとは?ふぐ刺しとの違いや鉄砲の語源・薄造りの秘密を解剖

てっさとは?ふぐ刺しとの違いや鉄砲の語源・薄造りの秘密を解剖

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なぜ関西では、ふぐ刺しが「てっさ」と呼ばれるようになったのか。その由来を辿ると、江戸時代の厳罰と町人たちのしたたかな食への執念に行き着きます。

ふぐが持つ猛毒「テトロドトキシン」は青酸カリの千倍以上とも評される致死性を持ち、かつては一度中毒を起こせば助かる術がありませんでした。安土桃山時代、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に肥前名護屋で多くの兵をふぐ中毒で失ったことから「河豚食禁止令」を発布。江戸幕府もこれを引き継ぎ、武士がふぐを食べて命を落とせば「主君への奉公を怠った不届き者」としてお家取り潰しになるほどの重罪とされました。

それでも庶民は、この抗いがたい美味を諦めませんでした。そこで生まれたのが「当たれば死ぬ=鉄砲」という隠語です。江戸後期の上方落語や市井の会話において、ふぐは「鉄砲」と呼ばれ、そこから転じて以下のような名称が隠語として定着しました。

  • てっさ:「鉄砲(てっぽう)」の「刺身(さしみ)」を縮めた略称
  • てっちり:「鉄砲(てっぽう)」の「ちり鍋」を縮めた略称
  • てっぴ:「鉄砲(てっぽう)」の「皮(かわ=ひ)」を縮めた略称

「当たれば命を落とす」という致命的なリスクを、言葉遊びと笑いに昇華させて公儀の目をかいくぐった上方商人文化のたくましさ。明治21年(1888年)、初代内閣総理大臣の伊藤博文が下関の料亭「春帆楼」で食したふぐの美味に感嘆し、山口県で公の解禁令が出されるまで、人々はこの隠語を使いながら命がけの饗宴を楽しんでいたのです。

高橋 健太
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高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。