日本で「テレビと知性の低下」を巡る論争が爆発した原点は、1950年代後半にさかのぼる。社会批評家の大宅壮一が放った「一億総白痴化」という衝撃的な標語だ。日本放送協会(NHK)をはじめとするテレビ局が開局ラッシュを迎え、街頭テレビに人々が群がった時代、大宅は直感的に見抜いていた。思考を必要としない受動的な娯楽の氾濫が、大衆の批判的思考能力を奪い去るのではないかという危機感である。
この危機感は日本固有のものではなかった。メディア論の巨頭マーシャル・マクルーハンは、テレビを「クール・メディア」と定義し、人間の感覚器官の均衡を再編する強力な存在として描いた。メディア自体がメッセージであり、人間の認知様式そのものを書き換えてしまうという彼の指摘は、当時の人々にとって予言的な響きを持っていた。情報が網膜を通じて一方的に流し込まれる構造そのものが、思考の怠惰を生み出す土壌となっていたのだ。