藤圭子(本名・阿部純子)の原点は、北の大地から東北へと渡り歩いた旅芸人の日々にあった。母・竹山澄子は全盲のハンディキャップを抱えながら、三味線を手に厳しい地方巡業を続けた凄腕の浪曲師だった。幼い圭子はその傍らで、母の手を引いて旅先のアスファルトに立ち、投げ銭を集めながら自らも声を張り上げた。
極寒の路上で絞り出される母の浪曲は、生きるための叫びそのものであり、言葉の端々に命の重みが宿っていた。後年、彼女が歌謡界に彗星のごとく現れた際、誰も真似のできないハスキーで深みのある声量を誇った背景には、幼少期に母の三味線に合わせて喉を鍛え上げた血の滲むような原体験が存在する。音楽業界の大人たちが作った作り物の悲哀とは一線を画す、生々しい人生の泥臭さがそこには刻み込まれていたのだ。