特攻の歴史において、最も規格外とされる生還記録を残したのが、陸軍飛行第20戦隊出身で特攻隊「万朶隊(ばんだたい)」に所属した佐々木友次(ささき ともじ)伍長です。佐々木伍長は、フィリピン戦線において実に9回の出撃を重ね、そのすべてから生還しました。
佐々木氏の生還を支えたのは、上官であった岩本益三曹長から叩き込まれた「特攻の体当たりではなく、爆弾を命中させて生きて帰り、何度でも爆撃せよ」という航空兵としての誇りと合理的技術でした。初陣となった1944年11月12日の出撃時、軍司令部は佐々木氏を含む万朶隊全員が突入・戦死したと誤認し、新聞各紙に「万朶隊の勇士、見事散華」と発表。公式に「軍神」として顕彰してしまいます。
しかし、佐々木氏は敵艦に爆弾を投下・命中させた上で生還を果たしました。軍上層部にとって、死んだはずの兵士が生きて戻ってきた事実はメンツを潰す都合の悪い事態であり、参謀らは「なぜ死ななかったのか」「次は必ず突入しろ」と繰り返し出撃を命じました。佐々木氏は幾度となくマラリアの高熱に倒れ、機体不良や激しい対空砲火に晒されながらも、冷静に状況を見極めて帰還を続け、終戦まで生き抜きました。佐々木氏の手記や証言は、極限下における人間の尊厳と合理性の象徴として語り継がれています。