戦いの直後から、源義経や朝廷は草薙剣(別名:天叢雲剣)の引き揚げに全力を注ぎました。関門海峡一帯の海士(あま)や潜水夫を総動員した大規模な海底捜索が数か月にわたって展開された記録が、当時の公卿・中山忠親の日記『山槐記』や鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』に残されています。
しかし、関門海峡の壇ノ浦周辺は日本屈指の急潮流で知られる難所です。最大流速は9ノット(時速約17km)近くに達し、海底の地形も極めて複雑に入り組んでいます。当時の潜水技術では潮流に阻まれ、深い泥に埋もれた刀剣を探し出すことは不可能でした。
陰陽師による祈祷や寺社での大祈願もむなしく、最終的に朝廷は草薙剣の回収を断念。壇ノ浦の海底に沈んだ剣は、現在に至るまで発見されていません。