昭和21年11月、夕暮れの新橋。薄暗い一角にあった酒亭「千草」には、文芸誌の編集者たちと無頼派のカリスマ・太宰治が集っていた。着流し姿で煙草をくゆらせ、道化めいた諧謔で周囲を笑わせる太宰の輪に、絣の着物を端正に着こなした青年が足を踏み入れる。東大法学部に籍を置き、すでに処女短編集を上梓していた三島由紀夫その人である。
同席していた編集者・野原一夫らの回想録によれば、三島は終始硬直した姿勢を崩さず、太宰の甘美な退廃趣味を冷徹に見据えていたという。「きらいなんです」と冷や水を浴びせられた太宰は、虚を突かれたように一瞬顔を曇らせたあと、照れ隠しのようにこう返した。「そんなこと言ったって、こうして来てるんだから、好きなんだよな」。
この軽妙な受け流しこそが、若き三島のプライドを決定的に逆撫でした。完璧な論理武装で挑んだ三島にとって、太宰の「甘え」と「受容」の態度は、もっとも直視したくない自分自身の影そのものだったからだ。