快進撃を続け、トップバンドへと駆け上がったT-BOLANを悲劇が襲ったのは、人気の絶頂期であった1994年から1995年にかけてのことでした。過密を極める全国ツアーとレコーディングのプレッシャーの中、森友嵐士の喉に突如として決定的な異変が生じます。ライブ中に突然、思い通りの音程や発声ができなくなり、歌おうとすればするほど喉が固まって声が詰まるという悪夢に見舞われたのです。
1995年の全国ツアー最終日となった大阪厚生年金会館でのステージは、音楽史に残る壮絶な現場となりました。楽屋で声を絞り出そうとしても掠れ声すら出ず、ステロイドの吸入も全く効果がない状態の中、森友は苦渋の決断でステージに立ちます。自らの声が出ないことをファンに詫び、客席が大合唱でボーカルを補うという感動的でありながらあまりにも痛ましい光景が繰り広げられました。
複数の専門医による精密検査を受けたものの、喉頭ファイバーで見ても声帯には結節やポリープといった器質的な損傷が一切見当たりませんでした。下された診断名は「心因性発声障害(機能性発声障害)」。喉そのものが壊れたのではなく、無意識のうちに脳と神経の伝達回路が歌うことを拒絶してしまう、精神的ストレスや重圧を起因とする難病でした。
「歌えないボーカリストなど、バンドにいる意味がない」――森友嵐士は激しい自責の念に苛まれます。他のメンバーは「嵐士の声が戻るまで何年でも待つ」と活動休止を受け入れましたが、喉の状態は好転せず、メンバーの音楽人生をこれ以上拘束できないと考えた森友は、1999年12月にバンドの解散を決断しました。
ここから、約14年間にわたる気の遠くなるような沈黙の闘いが始まりました。森友は都会の喧騒を離れ、自然豊かな山中へと居を移します。農業に携わり、土に触れ、声を取り戻すためのリハビリと自己対話を繰り返しました。「もう二度と人前で歌えないのではないか」という絶望に幾度となく襲われながらも、ある朝、ふとハミングが滑らかに出た瞬間から奇跡が動き出します。少しずつ発声の感覚を取り戻し、2009年にソロとして音楽活動を再開。そして2017年にはT-BOLANとしての完全復活を公式に宣言し、全国のファンを熱狂と涙で包み込みました。