本通商店街が時代ごとの激震を乗り越えて活気を保ち続けられる背景には、特異な歴史的経緯があります。そのルーツは江戸時代の城下町整備に遡り、西国街道(山陽道)の一部として人や物資が集散する広島城下の東西メインストリートとして繁栄を誇っていました。
1945年8月6日の原爆投下により、爆心地からわずか数百メートルに位置していた本通は一瞬にして壊滅的な被害を受けました。瓦礫の山と化した焦土のなか、生き残った商人たちはわずか数カ月後にはバラックの露店を並べ、復興の狼煙を上げました。「平和への願いを行き交う人々の笑顔に変えたい」という当時の商人たちの不屈の精神こそが、日本屈指の近代的なアーケード建設へと結びついたのです。
1954年の初代アーケード設置、その後の大型リニューアルを経て、雨天でも快適に買い物ができる総延長約577メートルの巨大空間が完成しました。バブル崩壊、郊外型大型ショッピングモールの台頭、ECの普及という三度の商業危機に直面しながらも、本通が死守したのは「歩行者専用道路としての快適性」と「常に新陳代謝を受け入れる寛容さ」でした。歴史が証明しているのは、本通商店街の生命力が変化を恐れない柔軟な商業生態系に支えられているという事実です。