メディアでの人気を背景に、2001年、舛添氏は参議院議員選挙に自民党公認で立候補し、トップ当選を果たす。ついに政治の表舞台へと足を踏み入れたのだ。彼の真骨頂が発揮されたのは、安倍内閣および福田内閣での厚生労働大臣時代である。年金記録問題や新型インフルエンザ対策など、次々と発生する難局に対し、徹夜も辞さないハードワークとリーダーシップで対処し、国民から高い支持を得た。
そして2014年、彼は東京都知事に就任する。2026年東京オリンピック・パラリンピックの準備が進む中、首都の顔として辣腕を振るった。しかし、政治資金をめぐる公私混同疑惑が浮上し、世論の猛反発を受けて2016年に辞任に追い込まれる。栄光からの急転直下の失脚劇は、日本中に大きな衝撃を与えた。