このフレーズのルーツを辿ると、インターネット音楽シーン、とりわけボーカロイド(ボカロ)楽曲やネット発シンガーソングライターの系譜に行き着きます。2010年代以降、ネット発の音楽は「教室や社会では言えない本音」を緻密なメロディと文学的な歌詞で描き出すカルチャーを築き上げてきました。
「自分なんていなくなればいい」「誰も私を見ていない」と自嘲しながらも、楽曲のクライマックスで放たれる「それでも誰かに見つけて欲しくて」という叫び。このコントラストこそが、ネット音楽特有のエモーショナルなダイナミズムを生み出しています。
カンザキイオリ氏や傘村トータ氏、あるいはツユやヨルシカといったアーティスト群が描いてきた「生きづらさと微かな希望」の系譜を受け継ぎ、複数のクリエイターがこのテーマを変奏し続けてきました。特定の1曲に留まらず、シーン全体が共有する「共通の心象風景(トポス)」として昇華されたことが、息の長い支持へと繋がっています。