シブがき隊が世間に活動終了を正式発表したのは、1988年8月7日のことでした。一般的な「解散」という言葉ではなく、グループ名に隊を冠していたことから「解隊(かいたい)」という独自の表現が用いられたことは、当時の芸能ニュースでも大きく報じられました。
解隊の最大の要因となったのは、メンバーそれぞれが20代を迎えたことによる「将来への方向性の違い」です。特にグループのセンター的存在であった本木雅弘が、従来のアイドル像に強い違和感を抱き、「本格的に役者の道へ進みたい」という強固な決意を固めたことが決定打となりました。
本木は当時の回顧録やインタビューにおいて、「歌って踊るアイドルとしての自分と、本来の自分が乖離していく苦しさがあった」と吐露しています。10代の頃は与えられたレールの上を全力で駆け抜けていたものの、20代に入り自我が確立されるにつれ、表現者としての表現欲求がアイドル活動の枠組み組みを大きく超えていきました。
これに対し、グループのリーダー格として進行役やトークを牽引していた薬丸裕英は、早くから司会者やマルチタレントとしての道を視野に入れていました。また、持ち前の明るさでムードメーカーを担っていた布川敏和も独自のタレント性や俳優業を模索しており、3人の目指すベクトルは完全に別の方向を向いていました。
1988年11月2日、国立代々木競技場第1体育館で開催された「FINAL MEMORY シブがき隊 解隊コンサート」をもって、約7年間にわたるグループ活動は幕を閉じました。この幕引きは突発的な衝突による崩壊ではなく、各々が次のステップへ進むための必然的な選択でした。