関係者の証言や当時のスタジオワークを紐解くと、彼の制作に対する執念が浮かび上がる。所属レーベルであった株式会社ユーマ(U/M/A/A Inc.)の現場において、彼はボーカルのわずかなフォルマントの揺らぎや、1ミリ秒単位のディレイタイムに何時間も没頭していたという。
録音スタジオの片隅で、部屋の環境音や鍵盤の軋みすらもサンプリングして楽曲の一部へと昇華させようとする姿勢は、職人というよりも求道者に近かった。遺されたマルチトラックのマスター音源には、幾重にも重ねられた実験的なノイズトラックや、あえて完璧に補正せず揺らぎを残したトラックが存在する。機械を通して「生身の不完全さ」をいかに表現するか――その命題に、彼は生涯をかけて立ち向かっていた。