森泰吉郎のキャリアは、日本の財界人の中でも極めて異例だ。東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業後、研究者としての道を歩み、横浜市立大学商学部長などを歴任。彼が本格的に不動産業に乗り出したのは、55歳という人生の後半戦に入ってからのことだった。
きっかけは、港区新橋・虎ノ門周辺にあった実家の土地資産の管理を引き継いだことにある。当時の虎ノ門一帯は木造長屋が密集する火災脆弱地域だった。学者としての観察眼は、高度経済成長に伴う都心のオフィス需要と防災都市化の必然性を冷徹に見抜いていた。「第1森ビル」「第2森ビル」と番号が振られたオフィスビル群は、堅実な自己資本比率と徹底した耐火・耐震設計を武器に、瞬く間に都心ビジネス街のインフラへと成長していく。
やがて1990年代初頭のバブル景気において、保有資産価値の高騰によりフォーブスの長者番付世界一を獲得する。だが本人は「土地の価格が上がったからといって、机や椅子の価値が変わるわけではない」と淡々と受け止め、普段着の生活を一切崩さなかった。この冷静沈着なリアリズムこそ、後に多くの経済人を驚嘆させる防波堤となった。