寺の草創は神亀四年(727年)、光仁天皇の皇子である開成皇子(かいじょうみこ)がこの地に草庵を結んだことに遡る。山岳修行の聖地として脈々と研ぎ澄まされてきたこの空間が、決定的な転機を迎えたのは平安初期のことだった。
第六代座主・行巡上人が時の清和天皇の玉体安穏を祈祷したところ、重篤な病が劇的に平癒。激賞した天皇から「王に勝った寺」として「勝王寺」の寺号を下賜された。しかし、寺側は「王に勝つとは畏れ多い」と畏敬の念を示し、発音をそのままに「勝尾寺」へと文字を改めたと伝わる。
他者を打ち負かす勝敗ではない。己の怠惰や怯懦、傲慢に克つ「勝運」の哲学は、この皇族由来の歴史からすでに芽生えていたのだ。