なぜこの騒動は、これほどまでに長期間にわたって人々の関心を引きつけ、時に過剰なまでの攻撃性を引き出したのだろうか。そこには、他人の倫理的失脚を消費する大衆心理と、それを煽るメディア構造が存在する。
悲劇的な文脈を帯びた不倫報道は、読者の正義感を刺激しやすく、アクセス数や雑誌の部数を稼ぐ格好のコンテンツとなりやすい。だが、その過熱した消費の果てに残されたものは、癒えることのない傷と、壊された人生だけであった。道徳的な非難と、行き過ぎた個人攻撃の境界線はどこにあるのか。この問題は、現代のメディア環境に生きる私たち一人ひとりに重い問いを投げかけている。