「名台詞がフィクションなら、おにぎりを貰い歩いていた設定も嘘なのか?」というと、そこは半分正解で半分が事実です。山下清が自ら遺した『放浪日記』には、各地の民家を訪ねて食べ物を恵んでもらう「もらい歩き」の生々しい記録が幾度となく登場します。
当時の日本は戦中から戦後の混乱期。見知らぬみすぼらしい身なりの青年が玄関先に立ち、「ご飯を一杯恵んでください」と頭を下げる光景は珍しくありませんでした。清は日記の中で、差し出されたおにぎりや残飯に対して、驚くほど冷徹で率直な感想を書き残しています。
「隣の家へ行ったら、親切なおばさんが握り飯を二つくれた。一つは梅干しが入っていてうまかったが、もう一つは塩が足りなくてまずかった」「固くなったご飯をもらったので、水で流し込んで食べた」。このように、美化されたドラマの温かい交流ばかりではなく、生き延びるための切実な手段としてのおにぎりが、日記の行間からリアルに浮かび上がってきます。