森尾卯太男の経歴と最期の真相|大日本正義団とベラミ事件の歴史全貌の要点や背景を専門的かつ分かりやすくまとめました。最新トレンドを一目で把握できます。

森尾卯太男の非業の死に、誰よりも激しい怒りと復讐の炎を燃やしたのが、大日本正義団の幹部であり森尾の最側近だった鳴海清です。鳴海にとって森尾は単なる親分を超え、自らの生き甲斐そのものでした。葬儀の席で遺影を前にした鳴海は、周囲が止めるのも聞かず、血涙を流しながら仇討ちを誓ったと伝えられています。

森尾の死後、松田組と山口組の間では断続的な報復合戦が繰り広げられましたが、警察の強力な頂上作戦と双方幹部の思惑から、抗争は手打ち(和解)へと傾きつつありました。しかし、親分の命を奪われた鳴海清にとって、首謀者の謝罪なき妥協は到底受け入れられるものではありませんでした。組織の統制を離れた鳴海は、単独での報復計画を練り上げます。

そして1978年(昭和53年)7月11日夜、日本中を震撼させる事件が起こります。京都市東山区の高級クラブ「ベラミ」で歓談中だった三代目山口組組長・田岡一雄に対し、鳴海清が白のサマースーツ姿で背後から忍び寄り、.38口径の拳銃を乱射したのです。首に重傷を負いながらも田岡組長は一命をとりとめましたが、裏社会の頂点に君臨する絶対権力者を標的にしたこの「ベラミ事件」は、森尾卯太男という親を失った子の狂気的な復讐劇の極致でした。