三島由紀夫の私生活を検証する際、見逃せないのが1958年に結ばれた平岡瑤子夫人(日本画家・杉山寧の長女)との結婚生活です。三島は結婚後、長女・紀子、長男・威一郎という2人の子どもに恵まれ、大田区南馬込に瀟洒な洋館を建てて暮らしました。
メディアの前では「近代的なマイホームパパ」「堂々たる家父長」として振る舞い、家族を大切にする姿を見せていました。当時の日本社会において、結婚して家庭を持つことは一人前の男子としての必須要件であり、エリート官僚の家系(祖父は元樺太庁長官、父は農林官僚)に育った三島にとって、世間体を保つための不可欠な社会的義務でもありました。
しかし、この結婚は三島にとって「完璧な仮面」を完成させる儀式でもありました。昼間は流行作家・家庭人として振る舞いながら、夜になると銀座のゲイバーへと繰り出すという、極端な二重生活を送っていたのです。評伝作家ドナルド・キーンやジョン・ネイスンらの取材によると、三島は海外旅行の際には解放されたように同性愛の歓楽街を訪れ、自らの本能を解き放っていました。
三島の死後、瑤子夫人が三島の「同性愛」にまつわる言説や出版物を極めて厳しく統制・提訴し続けた背景には、遺族として家名と夫の名誉を守るという強い執念と同時に、夫が生前必死にかぶり続けた「ノーマルな家庭人という仮面」を死後も守り抜こうとする哀しい忠誠心があったと考えられます。