1985年8月12日、羽田空港は猛暑と帰省ラッシュが重なり、異例の熱気に包まれていた。当時の空路は現在ほどオンライン予約が発達しておらず、当日空港のカウンターに並んでキャンセル待ちの整理券を受け取る人々が後を絶たなかった。熱気あふれるロビーで自分の番号が呼ばれるのを今か今かと待つ人々。その中には、出張を急ぐビジネスパーソンや、久しぶりに郷里の家族に会うために胸を躍らせる若者たちの姿があった。
空席が出たというアナウンスが響くたび、歓声とともに搭乗口へと向かう搭乗客がいた。しかし、その「幸運」こそが、乗客524名中520名の命を奪うこととなる日本航空123便墜落事故への片道切符となってしまった。ほんの数十秒の到着の遅れや、偶然の順番の前後が、生き残る者と帰らぬ人となる者を冷酷に分け隔てたのだった。