日大三高野球部の歴史を語る上で欠かせないのが、1997年の就任以来、春夏合わせて甲子園に22回出場し、2001年夏と2011年夏に全国制覇を成し遂げた小倉全由前監督の存在です。豪快な打撃戦を繰り広げる「強打の三高」を築き上げ、選手たちを「我が子」のように愛情深く包み込む指導法は、高校野球界のひとつの理想形として称賛されました。
2026年3月末、小倉監督が65歳の定年を迎えるタイミングで下した退任の決断は、単なる年齢制限だけが理由ではありません。関係者の証言や当時の会見資料によると、小倉前監督は「これからの三高の未来を考えたとき、気力・体力ともに充実した次世代の指導者にバトンを渡すことが最善」と判断し、長年ヘッドコーチや部長として苦楽を共にしてきた三木有造氏への禅譲を早くから見据えていました。選手たち一人ひとりに寄り添い、全力でノックを打ち続ける自身の指導哲学に妥協を許さないからこその、極めて誠実な幕引きだったといえます。
退任後も名誉監督的な立ち位置から高校野球の健全な発展を見守りつつ、グラウンドの指揮権を完全に新体制へと委譲したことで、名門校にありがちな「体制移行期の混乱」は一切生じませんでした。小倉前監督が植え付けた「感謝の心」「最後まで諦めない執念」「全力疾走」という精神的支柱は、今も図師町のグラウンドに色濃く息づいています。