地図を開くと秋田県の中央西部に位置する八郎潟。干拓以前の八郎潟は、面積約221.7平方キロメートル、周囲約82キロメートルという圧倒的なスケールを誇り、名実ともに滋賀県の琵琶湖に次ぐ「日本第2位の湖」でした。男鹿半島の付け根に広がる汽水湖であり、シジミやワカサギ、シラウオなどの水産資源が極めて豊富な宝の海として、沿岸の漁民たちに莫大な恵みをもたらしていたのです。
それほど豊穣だった巨大湖を干拓する最大の動機となったのは、第二次世界大戦直後の極端な食糧不足と復員軍人・引揚者の雇用問題でした。当時の日本は主食である米の絶対量が不足しており、国民の飢えを満たすための農地拡大が国家の最優先課題だったのです。水深が平均3〜4メートルと極めて浅く、底質が肥沃なヘドロ層(沖積粘土)で覆われていた八郎潟は、干拓して水田に変えるのに最も適した地形条件を備えていました。
当時の試算では、干拓によって約5万石(約7,500トン)以上の米を増産できると見込まれ、日本の自給率向上と大規模機械化農業のモデルケースを作るという壮大な国家の威信をかけて、湖を陸地へと変える世紀のプロジェクトが始動しました。