東京芸術大学卒業後、澤田が選んだ道はドイツだった。ハンザ同盟の古都リューベック。この北ドイツの街は、バッハやブクステフーデといった音楽史の巨人たちが活躍した地であり、ドイツ音楽の伝統が深く根付いている。
リューベック音楽大学での学びは厳しかった。ドイツの音楽教育は技術だけでなく、作品の歴史的背景や哲学的意味まで徹底的に探求する。澤田はその環境で最優秀成績を修めた。
北ドイツラジオ放送と国際舞台への登場
ドイツでの成功は、ヨーロッパ全土への扉を開いた。北ドイツラジオ放送への出演は、彼女の名前をドイツ語圏全体に知らしめた。放送メディアを通じて、澤田の演奏は何万人もの聴衆に届いた。
1999年、パリでショパン没後150年を記念するリサイタルに招かれた。音楽の都パリで、ショパンという最も愛される作曲家の作品を演奏する。これは日本人ピアニストにとって最高の栄誉の一つだ。
ワイマール・リストフェスティバルへの出演も特筆すべき実績だ。ゲーテとシラーが交流し、リストが宮廷楽長を務めたワイマールは、ドイツ文化の聖地。そこで演奏することは、ヨーロッパ音楽界から真の実力者として認められたことを意味する。