多くの教育ウォッチャーやネットユーザーが陥る最大の盲点は、麹町中学校が掲げた「自律」という概念を「子どもの好き勝手を許す自由放任」と混同してしまう点にあります。
工藤前校長が在任中に幾度となく強調していたのは、「自律とは、自分の感情や行動をコントロールし、社会の中で他者と合意形成を図る力」であるという定義です。服装自由化ひとつを取っても、「パジャマや派手な衣装で登校してよい」という意味ではなく、「どのような場にどのような服を着ていくのが適切かを自分で考え、周囲に不快感を与えない責任を負う」という高度な社会的訓練でした。
しかし、メディアの過熱報道によって「校則がない自由な楽園」「宿題がない夢の学校」というキャッチコピーだけが独り歩きしました。その結果、以下の3つのような現場のミスマッチが発生したのです。
第一の誤解は、「学校が学力を保証してくれる」という幻想です。麹町中のカリキュラムは、自発的に問いを立て、探究する生徒には極上の環境ですが、受動的に「教えてもらって点数を伸ばしてほしい」と願う家庭には不向きです。自学の習慣が確立していない生徒は、宿題という強制力がない環境で容易にスマートフォンの誘惑やゲームに流れてしまいます。
第二の誤解は、「内申書(調査書)の基準が甘い」という噂です。東京都の公立高校入試では、中学校3年間の内申点が合否に直結します。麹町中では定期テストの一発勝負を排した分、日々の単元テスト、授業中の発言、協働学習への貢献度、レポートの質などが極めて多面的に観察されます。単にテスト前に詰め込むだけの生徒よりも、日常的な学習意欲を可視化できない生徒の方が、かえって内申点で苦戦するというシビアな現実があります。
第三の誤解は、「教員全員が同じ理想を共有している」という思い込みです。公立中学校である以上、教員は東京都の定期異動によって数年ごとに入れ替わります。工藤氏の教育理念に心酔して着任する教員ばかりではなく、従来の学級経営や教科指導に誇りを持つベテラン教員も赴任してきます。現場での理念継承がいかに難しく、公立校の組織マネジメントにおいて「個人のカリスマ性に依存した改革」が脆さを孕んでいるかを物語っています。