メディア社会学および大衆心理の観点から検証すると、昭和から平成にかけての日本のテレビ界は、巨大な「共同幻想」を視聴者と共有することで成立していました。その中核にあったのが、「24時間生放送」という祝祭的空間におけるチャリティーと国民的アイドルの結託です。
福祉番組がエンターテインメントを取り入れる際、常に付きまとうのが「偽善」や「搾取」という批判的視線です。しかし、SMAPが機能した1995年や2005年の時点においては、メンバーたちが抱える不完全さや葛藤(森の脱退、グループの危機、個々の挫折)が生放送の場に持ち込まれることで、番組側の「綺麗事の演出」が相対化され、奇跡的なリアリティが担保されていました。
現代の視点から見出すべき教訓は、「受動的な感動の消費から、自立的な共感への転換」です。かつての視聴者は、テレビが提示する感動ストーリーに盲目的に涙を流す傾向にありました。しかしSNSが発達した現在、人々は作られた演出の裏にある意図を冷徹に見抜きます。
私たちが過去のSMAPの姿に今なお心打たれるのは、彼らが番組の操り人形になることを拒み、個人の意志と人間性を懸けて画面の向こうの他者と接続しようとしていたからです。チャリティーや支援の本質とは、誰かの用意した美談に相乗りすることではなく、自らのリスクを引き受けて他者への想像力を働かせることに他なりません。その境界線(バウンダリー)の保ち方を、彼らは身をもって示していたのです。